まさおまっさお

思ったことを書き残す所だよ

     

大人の常識は、子供の常識ではない。

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Photo credit: EugeneLimPhotography.com via VisualHunt / CC BY

 

 

同様に、誰かの常識は、他の誰かの常識ではない。

 

togetter.com

 

このまとめを読んで思ったこと。

 

以下、「常識」についての当たり前な話と、その周辺の疑問について。

 

 

常識って何だっけ?

私はテレビやネットを見ていて、いつも思うことがあった。

 

『日常生活で使える○○な裏ワザ!』

『料理をおいしくする××な方法!』

『家事を効率化する△△なやり方!』

 

 

そんなの常識だろ!

昔テレビで散々やってたじゃん!今さら何を・・・

 

・・・って、あれ?

何かおかしくない?

 

自分の常識、世間の常識

そう、ここには、大きな落とし穴があった。

 

昭和63年生まれの私が一番テレビを見ていたのは、小中学生の頃。

 

当時よくやっていたのは「伊東家の食卓」や「発掘なんちゃら大辞典」のような、家庭で使える情報系の番組だった。

 

そのせいで「缶詰の蓋を落とさない方法」とか「ペットボトルの水を速く捨てる方法」とか「Tシャツを速くたたむ方法」とか、そういう情報は無駄に沢山知っている。

 

しかし、テレビやネットを見ているのは、過去に同じ番組を見ていた人だけではない。 たとえ私と同世代だとしても、その頃テレビに興味が無かった人や、家庭情報番組に興味の無い人も大勢いる。

 

そのような人達から見て、一度見逃した情報を配信してくれるメディアは貴重な存在だ。1つの情報が一度きりしか配信されなければ、知ることができる人間は非常に限られてしまう。

 

だから「私の中で常識な情報」を世の中のメディアが流し続けることは、私で以外の、その情報を知らない人間にとってはとても有益なことだ。

 

そう考えると、私が思った「常識」はあくまで「私の脳内の話」であり、それは当然、世間の全員に対して通用するものではない。

 

 

これは最近のニュースでも同じことが言える。

 

ベッキーやら清原やら乙武やらショーンKやら、今年に入ってからの大きな話題は多いが、これだって常識ではない。ニュースをあまり見ない人だったら知らなくても不思議ではないし、そもそも自分や周囲に興味のある人が居なければ、見ても覚えていない可能性だってある。

 

それらの可能性を無視して「普通は知っているはずだ」と一括りにしてしまうなら、それこそ意味のない「常識」ではないだろうか。

 

 

だから私は、自分の脳内以外に「常識」は存在しないと考えるようにしている。

 

大人の常識、子供の常識

自分や自分の世代、それどころか世の中のほとんどの人達にとって「常識」だったとしても、それを知らない世代が存在するのは当たり前で、不思議でも、悪いことでも、おかしなことでもない。

 

私達が何もしなくても、毎年100万人もの平成生まれが増え続けていることを知っているだろうか。そして既に日本人の4人に1人は平成生まれである事実について、私達大人は本当に、理解しているだろうか。

 

 

時折、この当たり前が忘れられて、笑われたり、バカにされたりすることもある。

 

冒頭のtogetterでの反応は、一部の過剰反応した人達の話だ。しかし、ここまで大きな話ではなくても、世の中に無意識で存在する「大人の常識」はとても根深い。

 

上司や先輩とカラオケに行き、「山口百恵」や「西城秀樹」で盛り上がっていたとしても、平成生まれで昔の曲に興味がなければ、そんなの知らなくても無理はない。にもかかわらず、ちょっと有名な昔の人間だと「え、知らないの!?ジェネレーションギャップだわー!」とか言ってしまう大人は多い。

 

ジェネレーションハラスメントという言葉の存在を知ってか、知らずか。

 

口では「もう2016年かぁ。早いねぇ。」なんて言うことも多いが、自分達が生まれてから本当に数十年経ってしまっている事実に対して、私達は目を背けてしまっているのかもしれない。

 

 

こういう話の中では、「上司や周りの人達に合わせるために、昔の話題を学ぶのは当然だ!」という意見もよく見る。確かに周囲の人間の趣味趣向を知り、その知識を手に入れることは、コミュニケーションを取る上で重要なポイントだ。

 

でもそれは一体、誰の、何のためなんだろうか。

 

話を合わせるため?

媚を売るため?

仕事を円滑に進めるため?

 

考えれば色々言えそうだが、どんな理由だとしても、「それが若い世代にとって本当に必要なことなのか」という点について、大人達がちゃんと議論したことがあるのかどうか、私は知らない。

 

 

また、大人が若い世代に「知らないの!?」と驚く割には、大人達は若い人の趣味に対して全く無頓着であることも多い。ニコ生やyoutuberを見て楽しみ、最近のバンドの曲をよく聞き、流行っているアニメやマンガをこよなく愛する大人は、果たしてどれくらい居るのだろうか。

 

増え続ける若い世代の趣味すら理解できない大人が、今後本当に、世の中のためになる仕事をできるだろうか。

 

次世代のリーダーを育てる」と意気込み、新しい取り組みをするのはとても良いことだ。しかしその中で、大人たちの考えを押し付け、将来自分達を支えてくれるような人材に、調教したいだけの人は居ないだろうか。

 

結局、私達大人は、若い世代に何を求めているのだろうか。

 

サイコパスとか、重犯罪者とか

話は少し変わるが、ニュースでサイコパスや重犯罪者の話をする時、その人物の行動に対して「信じられない行動ですね」というコメントをよく耳にする。

 

私はこの発言も、頭の中でその人が考える「普通の人間」という常識があって、それに囚われているだけのように聞こえてしまう。

 

機械を分解するのが好きな人。企業のセキュリティを突破し、システムを破壊するのが好きな人。人体を解析するのが好きな人。

 

世の中には色々な趣味・職業の人達が居るが、そのような少し特殊で、有用な感性を持った人達と「生きている人間を壊したい」という願望を持ってしまった犯罪者の差は、果たしてどのくらいあるだろうか。

 

そしてそれは、本当に「信じられないこと」なのだろうか。 

 

結論・・・をつけるなら

論でも何でもなく疑問を書き連ねただけだが、私がこの件について言いたいのは「お前の常識はお前の中のものであって、他人のものじゃねーぞ」ということだけだ。

 

これは、私自身に対しても忠告しておく必要がある。

事実ではない「ただの思い込み」を持っていて得することは、実はほとんど無い。