まさおまっさお

思ったことを書き残す所だよ

     

同じ情報を、異なる人間が、何度も発信すること

本を読んでいたり、ネットの記事を読んでいたり、SNSを見ていたりすると、「こんなのずっと前から同じこと言われてるだろ、何を今更、新しく発見したみたいな言い方してんだ?」と思うことが少なからずあるし、そういう発言をする人を見ることもままある。

実際それはその通りで、世の中には完全に新しい事実なんて大して存在していなくて、殆どの物が既存の組み合わせから生まれるのだから、言ってしまえはほぼ全てが当たり前の延長にある。

じゃあ、それらの情報が世に出ることが無駄なのかというと、そんなことは絶対に無い。

そもそも、人がわざわざ発信する情報の多くは「自分にとって有益な情報だったこと」である。

これにもっと多くのラベルを付けるなら「今の自分にとって必要だった」「これまで自分が知らなかった」「今日、この時の自分の置かれた状況では有益だった」と言うことができるかもしれない。

つまり「情報という絶対値」が重要なのではなく「今この時、この情報に触れることができた」という、言わば相対的な状況が大事なのだと考えることができる。

立ち戻って考えると、世の中には「多くの人にとって有益だけど、全人類には行き渡っていない情報」や「昔はよく言われていたけど、最近は言われなくなった言葉」が沢山ある。

考えてみれば当たり前の話で、今世界では1日に40万人くらいが生まれ、それらの人間が育っていく中で触れられる情報には限りがある。そして誰にとって、何が重要になり得るのか予測することは基本的に出来ないものだ。

そんな中で、様々な「有益であろう情報」がより多くの人の目に触れるように流れていく過程において、たまたま既に自分が知っている情報、何度も見聞きして自分の中では「当たり前」になっている情報が、別の人にとって「今まで知らず、今知ることができて良かった」となる可能性は大いにある。

だから冒頭のような「何を今更」という感覚は、あくまで自分にとっては今更感があるなというだけの話であり、むしろ自分にとって有用だったのであれば他者にとっても有用になる可能性があるのだから、世に出回る数が増えることは喜ばしい事のような気がする。

ちょっと違う話かもしれないが、IT系の記事で「今さら聞けない!◯◯の使い方」みたいなタイトルを見ると「うるせーいちいち煽る必要ないだろ、人生に今更なんて存在しねーんだよ」というよく分からない反発感みたいなものが自分の中に生まれるのを楽しみながら日々を生きております。