まさおまっさお

思ったことを書き残す所だよ

     

自分の考えを語る時に使う、まるで見たかのような言葉遣い

ふと思ったこと。

なにかの物事について考える時に「~~の視点に立つ」とか「~~という見方をすると」とか「俯瞰して見ると~~」とかいう表現がよく使われる。

これは主に視覚を介して実世界を見た時に使われる表現なのに、実際に見ていないものを語る時にも普通に使われる言葉である。

ここから関連して考えたことが2つあり、1つは人間のインプット情報のうち、視覚情報というのが割合としてかなり大きいのだろうなということ。こういった比喩的な言葉は、視覚ではない表現でいうと「危険な香りがする(嗅覚)」とか、文章を見ただけなのに「~~のように聞こえる(聴覚)」とか、挙げれば色々ありそうな気がするけど、その中でも視覚を使った言葉は多く、そして普段から一番よく使われているような感覚がある。(自分がそう感じているだけで、実際に挙げていけばそうではないのかもしれないが)

もう1つは、実際に見たわけでもないのに「その視点に立って見たつもりになる」という、いわば催眠術のような、自分や他人を騙すような効果がこの言葉には含まれていると感じた。これには良し悪しがあり、「実際に視点に立ったつもりで考えてみる」という行為は有益なものである一方、「実際は知らないのに、知った・見たつもりになって語ってしまう」という悪手に繋がってしまう恐れもある。状況によってうまく使い分けることが必要な、中々高度な言葉のような気がした。

自分自身、IT業界で働いていて「ユーザー視点の意見が足りない」とかつい言ってしまうけど、「実際のユーザーの意見」と「自分がユーザーになった気持ちで考えてみた意見」というのは全くの別物であることがほとんどで、うかつに混ぜて考えてしまわないように注意したいな、と思ったという話。