まさおまっさお

思ったことを書き残す所だよ

     

知らないことが多すぎて、とても楽しい。

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最近すごくよく思う。

 

毎日文章を書いているのに、ボキャブラリーが全然ない。

 

自己批判とかではなくて、今まで言葉に疎い生活をしていたから当然なのだ。

 

 

考えなかった

私は今まで、何かについて深く考えることをしなかった。

 

でも最近の記事では「考える」に関する話ばかりしている。

 

まだそんなに長くないこのブログは、大半がこれに染まっている。それは私が今「考えることについて興味がある」という事実の表れだ。そして私にとって、何度も過去を掘り返さなきゃいけないほど、自分が今まで「考えていなかった」という事実が大きく見えているのだと思う。

 

今まで、やりたいことをやりたいようにやって、自分の楽しめそうなことを直感で見つけ、たまたま手にとって面白いと感じたことをひたすら同じようにやり続けた。

 

スポーツをするにもゲームをするにも、頭を使いそうな勉強をする時でさえ、やり方を考えることはしなかった。とりあえずやってみる所から入って、どこかに進む時は適当な感覚に従い、たとえ悪い所を見つけても、ほとんど直感だけで解決させる。

 

そんな生活の中で、本はほとんど読まなかった。

というより、読めなかった。

 

考えない私にとって文字を読むことは難しくて、目が滑るし内容も頭に入らないし時間ばかり取られて苦痛でしかなかった。どうしたら読めるか、どうやれば苦痛じゃなくなるのか。そもそも何のために本が必要で、どんな知識が欲しいのか。そんなことは考えずに「面倒。だから読まない。」という単純な感覚だけに従ってきた。

 

ボキャ貧と学び

こんな生活を続けていれば、 ボキャブラリーに乏しくなるのは当然だ。

 

ボキャブラリーが無い。

語彙が少ない。

 

言い換えれば、言葉を知らない。

 

言葉は、他人と接触するためのツールだ。

世界に言葉が無くなれば、他人に事実を伝えることは非常に難しくなる。

 

私はこのごろ、そんな「言葉」と向き合う機会が増えた。本だろうとブログだろうと、私の生活の周りは今、他人の手で作られた多くの言葉で溢れかえっている。

 

そしてそこには、私の知らない単語、表現、言い回し、比喩、他にも様々な手法や言葉が沢山使われていて、自分じゃ到底作れないような文章が山ほどある。

 

自分もいつか、あんな文章が書きたい。

そう思うことが多くなってきた。 

 

 

最近はブログを書く中で、「言葉について学んでいる」と感じることが多い。

 

ブログ記事というまとまった文章を作るため、話の流れを考えて章立てする。

大事な部分や伝えたいポイントを捉え、太字や赤字にする。

 

なぜ同じ表現を連続で使うべきではないのか。

同じ表現を連続で使うとどんな印象があるのか。

逆にそれらが有効な時はいつなのか。

 

面白く書きたいのか、真面目に書きたいのか、不思議な感じに書きたいのか。

 

時には「学校で習ったな、体言止め」と思い出しながら使ってみたり、記事の内容によって、ですます調とだ~である調を使い分けたりなんかもする。

 

 

言葉は面白い。

これは今まで、言葉をあまり知らなかったから感じているのかもしれない。 

 

文学と、生きてる感じ

色んなことが頭の中を走り抜けた後、私は今、文学を読みたくなっている。

 

ちなみに「文学」という言葉は結構曖昧らしい。あれだけ知識豊富なwikipedia氏でさえ明確な答えを出せていないのだから、きっと曖昧な状態が答えなんだろう。

 

今の自分の頭にある文学は、 ほとんどが小学校の教科書で読んだ記憶を頼りにしていて、それはつまり、文章にほとんど触れてこなかったという事実でもある。

 

オツベルと象とか、羅生門とか、それくらいしか思い出せないけど、やっぱり文学にはいろんな表現が詰まっている。普通は 言葉だけじゃ見た目を伝えるのは難しいはずなのに、文学のことを思い出すとその場のイメージが脳裏に浮かぶ。

 

最近一番頭をよぎるフレーズは、「みんなちがって、みんないい」だったりする。

そしてその言葉は、現在の世の中でも変わらず通用する内容だ。

 

昔の本や、昔の表現を「学ばなきゃいけない」と押し付けられるのは好きじゃなかったけれど、今の自分のように、昔の文章に「触れてみたい」と思っている気持ちは、これから大事にしていきたい。

 

だから今読みたい本が片付いたら、お勉強ではない文学的な本にも手を出してみようと思っている。

 

 

そんな風に、自分の知らない世界と向き合うこと。そして知るためには、どうすれば良いか考えてみること。それがやっとできるようになってきた。

 

こうなったのは恐らく、ブログを書いて、自分で文章を考えているからだと思う。

 

 

この感覚は、弱虫ペダル風に言えば「生きてる!って感じ」だ。

 

 

私は最近、言葉に触れ、分からないことを見つけ、それについて考えることが楽しいと感じていて、それはとても生きてる!って感じがしている。

 

ただ世の中に流されるだけではなくて、自分の頭で何かを考えて、悩んで、抵抗してみようとするからこそ、生きている。

 

まずはそれで良いような気がする。

一気にすべてを考えられるようになるわけじゃない。

 

一歩ずつ。

少しずつ。