まさおまっさお

思ったことを書き残す所だよ

     

メモ: ポジティブに目を向ける

もう寝たいし、寝る前にやりたいことも残っているけど、この考えは忘れたくないのでメモしておく。

最近この本を読み進めている。

自分はエッセンシャル思考の重要さを分かっているけど、エッセンシャル思考ができていないシーンは度々ある、どころかむしろ、できていないことの方が多い。その程度の状態だと感じる。

ただ、第17章に出てきた「ポジティブ・チケット」に関するエピソードが好きだ。

自分もこういう仕組みを作りたいし、こういう考え方ができる人間になりたい。

そう思ったことを色々な場所にメモしておくことで、明日以降もちゃんとこの気持ちを思い出せるようにする。

ための、記事です。

明日の自分に、今の自分を移すことが難しい

最近気づいた自分の特技、それは 寝て起きるとある程度冷静になれている というものだった。

何か嫌なことが起きても、どうしても許せないようなことがあっても、一度寝て起きてしまえば大体のことは落ち着いて考えることができる。

これ自体は悪いことではないと考えていたのだけど、1つ面倒なことに気がついた。

それは 冷静になるのは、悪いことに対してだけではないということだ。

夜になると感情に動きが生まれやすく、それは良い方にも悪い方にも向かうことがある。悪い方に向かっている時に寝ると、朝には少し良い方向に振れている。ただ反対に、良い方向に気持ちが振れている時だったとしても、一度寝てしまうと自分の中の針が中立に近いところに移動し、また冷静な自分を奮い立たせる所から始める必要がある。

これらは意識して行っていることではなく、いわば癖のようなものであり、自分は何も考えずに動くとこういう特徴が出てしまうということが分かってきた。

対処の方法としては 夜の熱量を書き記しておき、後で見返すことで再着火しやすくする とか 前日のうちに準備までしておき、朝に熱が無くても進められるようにする とか 朝は熱量に左右されないことを行い、夜に熱量が必要なことを行う みたいな方法が考えられそうだ。

計画を立てて動くことは得意な方ではないけど、自分にできることを考えながら進むことは、まあまあ楽しい。 でも自分にとって、簡単ではない

明日の自分に、今日の自分の熱を伝えられるようになりたい。

個人の能力は、いつの時代でも重要である

道具や機械が発達し、ほとんどの物事は人間が直接手を下す必要がなくなってきている。

このような世の中において、人間の筋力や持久力、器用さといった個人の能力はどれだけ重要か? 答えはおそらく、昔とそこまで変わっていない。

道具を使えば何かを達成できるのだとしても、もしそれを自分の手一つでこなせるのなら、その道具を買うコストは不要となり、もし既に持っているのなら人に貸し出すことができる。

既存の機械を使えばより便利になると知った上で、その仕組みを自分の頭で考え、その身を動かして目的を達成できるのであれば、機械の在り方自体を見直し、更に便利な新しい方式を提案できる。

翻訳が自動化されたから、自分が英語を話せなくても全く困らない訳ではない。 車や電車が存在しているからといって、歩けなければ生活の楽しさは半減してしまう。

以前のように「生きるために必要だ」という優先度からは少し離れているかもしれないが、それでも重要なことには変わりが無い。

じゃあ自分は、この先何ができるようになりたいだろうか?

少しずつ変化していく

最近作業デスクの上を整理した。

読みかけの本は本棚に仕舞うと読むのが面倒になるため、手の届くところに出しておきたかった。でも定位置を決めない状態だと、気づけば何冊かが縦に積まれていて、自分のスペースを侵害してきていた。

対処として、ホームセンターでブックエンドを購入した。今まで観賞用の推しのイラストが入った額縁を置いていたが、それを布団の脇に移動し、できたスペースに本を立てて置くようにした。決まった位置があると自動的に仕舞うようになるもので、デスクの上を広々と使うことができ快適になった。

最近日記をつけ始めた。

1日1ページ、とか考えると億劫になるから、とりあえず手元にノートを置いておき、頭がモヤモヤしてきたらとりあえず何でも良いから書き出すような形で使っている。悩みを書き出せばある程度思考が整理できるし、自分に言い聞かせたい言葉を自分の手で書くことによって、ただ文字を読むだけよりも頭に残りやすくなっている気がする。

ついでに、定期的に過去のページを見返すようにしている。といってもまだ1週間程度しか経ってはいないのだけど、それでも以前考えていたことが今の自分にとって気づきになることもあるし、同じ文章をざっくりと読み返すことで言葉が刷り込まれていくような感覚もある。もっとノートの書き方が上手くなりたい。

最近タイマーを使い始めた。

特に仕事をするにあたって、今までは始業時間と終業時間くらいしか意識してこなかったのだけど、数時間単位でタイマーをかけておくことによって、自分の脳が緩んでいる時にふと残り時間を目にして、集中力を取り戻すことができている。終業時間や打ち合わせの開始よりも少し手前に終わりをセットしておき、空いている時間にゆっくりしたり考え事をしたり、やるべきだけど後にまとめていたことをしたりしている。

時間の使い方については、数年前に一度結構しっかりと予定を立てて行動するようにしてみていたのだけど、予定を立てるのが面倒になって続けることができなかった。対して今は基本的に大まかな予定だけで動いていて、本当はその中間くらいの管理の仕方ができるともっと良いのかもしれないなと感じる。

変わっていることも、変わっていないこともあり、それが組み合わさって今の自分が在る。 どこをどのように変えたいのか選ぶのは自分で、実際に変えるのも変えないのも自分なのだから、もっと自分との対話をしっかりして、納得できる進み方を見つけていきたい。

何かを作りたい

でも、何が作りたいのかは分かっていない。

それを知るためには何かを作る必要がある、と言われると正しいような気がする。でも、今は考えることをもう少し続けたい。

あと少し、何かがあれば動き出せそうな感覚がある。でも、その 何か に辿り着くために必要なことは、今の自分には分からない。

じゃあどうするか。少なくとも、同じ場所にただ立ち止まっているだけでは何も進まない。

直接の作る方向ではなくても良いから、動きたい。 だからとりあえずここに文字を打ち、ノートに文字を書き、本を読んで自分の心の中でアウトプットをしている。それはインプットと何が違うのだろう。

これがあれば楽しそうだ、と思えるものを、近いうちに見つけたい。見つけるというよりは、創造したい。創造は組み合わせであり、真似である。

抽象的な話ばかりしているが、それはそれで良し。

時間を大事に

時間を大事にする。

自分の思うそれは、無駄なことを一つも無くすとかそういう話ではなくて、自分が何に時間を使っているのかを意識しながら過ごすという話。

何も考えずにボーっとしていても良い。でも、ボーっとしているという自覚は持った方が良い。 YouTubeを見ても、Twitterを見ても良い。ただ、自分がどれだけスマホの画面を見て、どんな情報に触れ、何を感じているのかは認識しておいた方が良い。

やっぱり自分は今でも感覚で生きていて、それはつまり意識的に動いている時間が短いという事であり、突き詰めていくと再現性の無い行動や、目的にしっかり繋がっていない行動を取ってしまう可能性が高いということである。

だからこそ、自分を上手くコントロールしていくためにも時間の感覚を持つことは重要で、日々メモしたり日記やブログを書いたりすることも、その一助にはなっている...と考えて動いてはいる。

我が家の永遠の謎

居間のテーブルの上が汚い。

写真を乗せたいけどマジでゴチャゴチャすぎて載せられる状態ではない。

幸い汁っ気のあるものは放置しない程度の配慮はできているため、臭いや虫などの被害は出ていないのだけど、それにしても汚い。

汚れている というより、物が溢れているという意味での 汚い 。 というか 汚い という言葉をこの2種類の意味で無意識に使い分けていたんだなぁという事実に初めて気づいた。また一つこの世の真理に近づいた。やったぜ。

それは良いとして、どうしてこのような状態になってしまうのだろうか。 家に来客がある度に急いで片付けている記憶があるから、まあ数ヶ月に1回はある程度ものを整理しているとは思うのだけど、今や食事の際に皿の数が多いと置けないレベルで物が散乱している。

昨年末に家の片付けを進め、その際にテーブル周りの物をしまうための棚や箱を購入した。 そしてその箱はちゃんと物が仕舞われている。役割を果たしている。にもかかわらず、テーブルの上は相変わらず物で溢れている。

回収して分類が面倒になった広告と、そこそこ必要かもしれない書類の束。 毎日使う訳では無いけど数日に1回くらいは使うような調味料。 割と毎日飲んでいるサプリメント類。 食べかけで仕舞うと二度と食べなくなるからと、机の上に置きっぱなしのおやつ。

どれもある意味でそこに有ることが必要そうな、でもちゃんと頑張れば不要と判断できそうな物たちで溢れかえったテーブルの上は、優柔不断で捨てる決断が苦手な我が家の人員の人生を表しているようで、無駄に尊くも感じる。 いや良いから片付けろよ。

やるかぁ